■地域研究2:ミャンマー2

『静かに激動するミャンマー(ビルマ)の今』(2012)


2.人々の精神的、社会的規範

 この章では以上で見てきたミャンマーの人々の精神的、社会的規範について考えていくが、ミャンマーの人口の90%が仏教徒であることから仏教を中心に見ていく。そして仏教とともに人々の生活に影響を及ぼしていると考えられる精霊信仰「ナッ」についてもみていく。

(1)宗教とのかかわり

(a) ビルマの仏教

現在のミャンマーの人々にとって仏教は精神的支柱であり、僧侶は世俗の一切のものを捨てた存在であるゆえに正しい識見を持つものと受け止めら尊敬される存在(*7)である。
ビルマの仏教は土着の精霊信仰や占星術などを取り入れつつ形成され、歴代王朝との結びつきも強く、熱心な仏教徒であるかどうかが支配に正統性を与える原理ともなっていた。植民地支配の時代には「仏教で説く支配や搾取の否定、貧富の差の否定などに、現状が鋭く対立するものとみなされ、現状を変革することは、現世の苦痛を克服し、仏教の盛んな理想世界を実現する「正しい」仏教の行為である(*8)」とするとともに、社会主義思想と結びついて反英民族主義運動を推し進めた。ビルマの仏教は、人々の生活の社会規範となるとともに、国の変革に対しても正統性を与えるなど、政治に対しても強い影響力を持ってきた。

・清浄な宗教空間
寺院の境内に入るために門で必ず裸足になることで、俗人の空間とは異なる聖なる空間であると認識させられる。ヤンゴン中心部のスーレー・パヤーでは木曜日の夕方に信者が大勢集まり、境内に水を撒いて清掃をしていた。毎週行っているとのこと。

・僧院生活
仏教徒の男子は一生に一度は僧院生活を送ることが望まれ、実行される。このことで戒律によってもたらされる仏教徒としての行動様式を身につける。それは、還俗後の生活においても、行動を律する背景となっている。(*9)

・徳を積む
「1.パゴダの建立、2.得度式を主催する、3.僧院の建立、4.僧院への井戸または鐘の寄進、5.斎飯の寄進、6.僧への布施、7.俗人に対し物やサービスを提供する。(*10)」
1⇒7の順で徳の量は少なくなる。
市場などで観察していると、お布施をもらいに来る僧侶、尼僧が時間帯によって何組も続けて訪れる。子供達の場合は6,7人のグループで回っていた。お店側では小銭をたくさん用意している。

・家の中
家の東の方向に仏陀を祭る棚が置かれている。棚には仏陀の像やパゴダの絵や写真が貼られている。カーテンがかけられていて、祈りのときにのみ開ける。水や果物は毎日朝と夜2回交換し、花は枯れたら交換するが、人によっても異なるとのこと。寝る時は出来るだけ東方向に頭を向け、仏壇に向かって足を伸ばしては寝てはいけない。

・八曜日(*11)
ミャンマーの仏教徒にとって生まれた曜日が重視される。曜日が8つあるのは水曜日が午前と午後に分かれているからであり、生まれた曜日によって、その人の基本的な性格、人生、他人との相性が決まると信じられている。この曜日を調べるためのポケット辞典も販売されている。
8つの曜日は星や方角、動物によって表されており、仏教寺院に行くと、8体の仏像が置かれた祭壇やお布施の箱が置かれている。その祭壇では人々が水をかけ、お祈りをしている。水はボールやバケツに入ったものが置かれているので、そこから小さなボールで水を仏像に3回かける。バケツの水は次の人のために汲み足しておく。

(b)「ナッ」の信仰

精霊ナッは木や石、水など様々な自然物に宿るものから、「三七柱のナッ」といわれる、名前を持つものもある。バガン近くのポウパー山がナッ信仰の中心的位置を占めている。
ナッは11世紀初めパガンの王国の形成に伴い、民間で信仰されていた36の精霊を一つのパンテオンにまとめ、その頂点にマハーギーリをおき、仏教の守護神タジャーミンと結びつけることで、ナッ信仰が仏教の下にあることを示したという。
ナッは定期的に、あるいは病気や災いが起こったときに供え物が捧げられる。供え物は女性によって行われる。ナッは人々を守ると同時に、供え物を怠ったり、祠近くの木を伐るなどの禁忌を犯すと人々に災厄や病気をもたらす、恐ろしい存在であるので、できるだけ近づかないことが望ましいとされる。
その一方で、現世の目的を成就させるためにナッに供え物もする。特にマンダレー近くのタウンビョンという町で祀られる二兄弟のナッは願望成就に強い力があるといわれ、祭りの時には多くの人々があつまるという。
ビルマの仏教の年中行事のなかにおいても、ナッは祀られている。

(「道のナッ」著者撮影)

・家の中での祀り方
家の守護霊でもあるマハーギーリは、部屋の入口と反対の隅の柱にマハーギーリを表すココ椰子が吊り下げられる。仏の棚とは別に花と水が供えられる。仏壇より低く吊り下げられ、普段はカーテンがかけられている。
家に親類以外の誰かが来るときは、ナッに許しを得ておかないと災いが起きる。結婚の場合もナッの許しを得る必要がある。家の守護霊は長男に引き継がれる。

(c)仏教徒から見た他の宗教の民

ミャンマーのムスリムは大きく分けて以下の3系統が暮らしている。
インディア・ムスリム: インド系。19世紀以降、イギリス植民地時代に移住してきたインド人。
パンデー: 中国系。雲南省から移住してきた華僑。
バマー・ムスリム: ビルマ系。「ナッ」に対する寛容さ、ビルマ的価値観や習慣をもちビルマ民族としてのアイデンティティを持っているようである。

これらのムスリムのうち、インド系(アラブ系も含まれる場合がある)はビルマ人に「カラー(外来者)」と呼ばれ、警戒され、偏見がもたれている。
この「カラー」という言葉自体は、植民地時代以前からあったが、当時は外来者全般を指し、ムスリムもその一つに過ぎなかった。しかし、植民地時代以降、インド人移民が急増する中でインド系ムスリムとの軋轢が生まれ、衝突もおきたために徐々に「カラー」という言葉にムスリムが結びつき、偏見の対象となっていったと考えられる。
このムスリムへの偏見に対して、ヒンドゥ教徒のインド人に対しての警戒は薄く、仏教寺院の中にもヒンドゥ教徒が出入りできていると考えられる。またムスリム以外の中国人に対しても、古くから華僑としてヤンゴンなどに住み着いている中国人に対しては、働き者でまじめとして、いいイメージが持たれている。しかし、最近入り込んできた中国人に対しては、ずるがしこイメージを抱いているとのこと。
また、バマー・ムスリムは同じビルマ民族でありながら、ムスリムであるがゆえに警戒されているが、ビルマ民族のキリスト教徒は警戒されていないようである。

(2)家族・親族

ビルマ族は名字がなく、「家」意識は極めて低く、世代を越えて家系や家業を存続させるという観念は薄い(*12)とされる。その一方で、母子関係は密接で、ビルマ語の「家族」をさす「ミ・ダ・ズ」という言葉は母親と子供の集まりを意味している。


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【引用・参考】
(*7)綾部恒雄 1994, p.131
(*8)同上, pp.131-132 
(*9)同上, p.136 
(*10)同上, p.138
(*11)工藤成樹 1964, p.3 にあるヒンドゥ的占星術と宇宙観からなる「九神崇拝」と同じか。
(*12)同上 p.188