■地域研究2:ミャンマー3

『静かに激動するミャンマー(ビルマ)の今』(2012)


3.経済、政治・民主化への動き

 ミャンマーを訪れていた5月2日にアウンサンスーチー氏の初登院が行われるなど、民主化に向けて少しずつだが進んでいるように思われる。しかし、民衆は軍事政権による経済の混乱や仏教の僧侶の殺害などによって政府を信用しておらず、軍部は北朝鮮とのつながりが深いことからも、内外ともに政治、経済においては不透明な状況は続くと思われる。

(1)経済

ミャンマーの経済は一人あたりのGDPでは2010年度が742USD(*13)とASEAN諸国の中で最も低く、アフガニスタンやネパールとほぼ同じ。輸出額や輸入額についても他のASEAN諸国が90年代後半以降急激に伸びているのに対して、ほぼ横ばいの状態が続いている。近年、タイや中国による投資が増えてきたが、それぞれの国のエネルギー資源確保の側面が強い。

ミャンマーは社会主義経済(1962年~1988年)から市場経済に移行した後も、軍事クーデターと民主化運動の弾圧によって経済制裁を受けていたため、外資の導入やODAなどの援助もない状態が続いていた。その後、2000年頃からのタイへの天然ガス輸出がはじまり、タイによる採掘事業への投資もあり、2009年まではタイがミャンマーへの最大の投資国となっていた。しかし、中国による投資が2007年から増え始め、2010年度は95億ドルと前年度の約12億ドルから急激に伸びている。中国は1990年代からミャンマー軍事政権を援助する動きを見せており、ミャンマー北東部の中国との国境付近では国境貿易が盛んに行われてきた。大型の水力発電所を建設するプロジェクトもすでに動き出しており、電力や資源確保とともに、中国はミャンマーをインド洋へのルートとしても位置づけられていると考えられる(*14)。
実際に、2011年にはミャンマーの国境Museからインド洋沿岸の町Kyaukphyuまでの鉄道を3年以内に通す計画が中国とミャンマー政府によって合意されている(*15)。

(2)政治・民主化への動き

2012年4月1日に行なわれたミャンマー連邦議会補欠選挙で、アウンサンスーチー氏を議長とする国民民主連盟(NLD、National League for Democracy)の候補者44人中40人が当選し、5月2日に初登院がされた。
町の商店や食堂などにはアウンサンスーチー氏の顔写真が飾られ、キーホルダーなどのグッズも露店で販売されていた。現在の民主化の動きにあわせて、1988年の民主化運動弾圧後に国外に亡命し、国外から援助を続けてきた人々も帰国をはじめているとのこと。

・亡命ビルマ人
1988年の民主化運動、ネ・ウィン政権の崩壊、軍事クーデターと民主化運動の弾圧後、タイ国境付近や国外に亡命者を出している。特に当時大学生であった若い世代が多く流出している。
現在、亡命政府である、ビルマ連邦国民連合政府はアメリカにおかれ、アウンサンスーチーの従兄弟のセイン・ウィンが元首となっている。国民民主連盟(NLD、National League for Democracy)はその主要な構成団体で、本部はタイとミャンマーの国境付近に置かれており、イギリスやオーストラリア、韓国、日本、ニュージーランドに支部が置かれている。

・日本の亡命ビルマ人
現在日本で暮らす亡命ビルマ人は呼び寄せた家族も含めて4,000人ほどおり、難民の認定を受けているのが300人ほど、人道的に認められた数は1,700人ほどで合計約2,000人が合法的に日本に滞在している。
日本への亡命は1988年の民主化運動以後始まり、1989年に在日ビルマ人協会が作られたが解散し、現在は1995年にできたNLDの日本支部(NLD(LA)JB)が東京におかれ、他の国々の支部と連携をとりながらビルマの民主化のための情報や資金の提供を行っている。現在400名程度が所属しているとのこと。この他にも多くのビルマ人団体が日本国内にも存在し、在日ビルマ人共同実行委員会(JAC)に所属する主要団体だけで30団体あり、その他少数民族もあわせると100団体以上あるとのこと。
在日ビルマ人の団体は毎年4月に日比谷公園で「ダジャン(ビルマ水かけ祭り)」を開催し、ビルマ人としてのつながりを確認するとともに、民主化運動への援助資金を募っている。そのためミャンマー連邦共和国とは関係なく行われており、「ビルマ」という国名とアウンサンスーチー氏の写真を掲げて行われる。この祭りにおいて、ビルマ人は参加のために入口で500円払うが、日本人などは無料となっている。しかし、入場しているのはビルマ人がほとんどで、多くの一般の日本人は祭りのスペースまでは入り込まず、周囲で眺めている。
亡命ビルマ人はミャンマー連邦共和国のパスポートを持たないため、多くが帰国することなく、日本で20年以上暮らしており、子供たちのいる世代は、ミャンマーへ帰国したくないと考えている人もいるようである。

(3)仏教界と民主化運動

1988年の民主化運動や2007年9月の反政府デモにおいて、多くの市民だけでなく、僧侶も殺されている。2007年のデモの際には軍事政権側によって僧院が襲撃され、仏教僧が迫害され、強制的に還俗もさせられた。仏教の僧侶が侮辱され、殺害されたことは、多くの国民に衝撃を与えており、日本のビルマ人組織も大使館前でデモを行っている。そして仏教界も軍事政権に対して、不受布施を行い、国民に対しては非暴力の運動を推奨するなど、現在の民主化の動きに正統性を与える役割を果たしていると思われる。

4.まとめ

ミャンマーにおいて、人口の大半を占める仏教徒の人々の日常生活にはビルマの仏教の影響が強く反映されており、ビルマの仏教が現在でも社会の安定に果たす役割と、社会変革に果たす役割を維持していた。
今後も様々な民族、宗教を一つにまとめた国を作り上げていく際に、ビルマの仏教が重要な役割を果たしていくと考えられる。しかし、今回ミャンマーを訪れて分かったことは、現在のところ仏教の寛容の教えが、民衆レベルの他の民族や宗教に対する差別意識や偏見をなくすことができているとはいえないということであった。ヤンゴンの中心であるスレー・パヤーという仏教寺院の向かいにはイスラム教の寺院とキリスト教の教会があり、周囲にはインド人街や中華人街が存在する。少なくとも、19世紀以降はヤンゴンにおいて隣り合って暮らし、尊重しあい共存しているかのようには表向きは見えるが、そこには利害関係や生活習慣の違いからの偏見が、民族や宗教という枠組みでとらえて見てしまっている。
このことは、ミャンマーに限ったことではなく、過去から現在にいたるまで文明が解消できていない問題の一つであるといえる。
ミャンマーにおいては、これら他者への偏見をいかに減らしていくか、そして国外からも新たに受け入れていくことができるかに今後の国づくりがかかってくると考えられるが、その際に仏教の影響力と、長年国外で暮らさざるをえなかった多くの亡命ビルマ人が、他者との架け橋の役割を果たしていくものと思われる。
そして、市場経済の導入や外国資本の流入によって、物質的な欲求も刺激されることになると思うが、欲望のコントロールという点においてビルマの仏教が制御をかけることができるかどうかという点が、収奪文明から還流文明への転換のための手がかりの一つになるといえよう。

参考文献

綾部恒雄編 1994. 『もっと知りたいミャンマー』 弘文堂
工藤成樹 1964. ビルマ人の生活における仏教. 東南アジア研究 1(3), 2-10京都大学
熊田 徹 2001. ミャンマーの民主化と国民統合問題における外生要因 『アジア政経学会季刊』 47(3), 1-27 アジア研究
人見泰弘 2007. ビルマ系難民の政治組織の形成と展開 『現代社会学研究』 20, 1-18 北海道社会学会
三菱UFJリサーチ&コンサルティング 2011. 「調査レポート ミャンマー経済の現状と今後の展望 ~開発ポテンシャルに富むアジアのラストフロンティア~」


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【引用・参考】
(*13)JETRO ホームページ http://www.jetro.go.jp/world/asia/mm/basic_01/#block2 (2012/05/16閲覧)
(*14)三菱UFJリサーチ&コンサルティング 2011. p.19
(*15)ミャンマー大使館HPからのリンク