■研究1:喫茶の伝播と変遷2-1

喫茶の伝播と変遷:アナトリア・バルカン地域を事例として(2009)
A Comparative Study of Tea and Coffee Cultures: Anatolia and the Balkans as Examples(2009)
※サイト内の記事の著作権はチャイ専門店 茶窓 木下純平に帰属します。


第二章:喫茶の現状把握

 茶やコーヒーは、現在日本の家庭や職場などにおいて、“お茶”(*6) として、「お客様へのおもてなし」、仕事の休憩、気分転換、集中したいときなど様々な場面で飲まれ、広く日常生活に浸透している。都心部ではチェーン展開されたコーヒーショップが並び、多くの喫茶店、駅や道の茶屋などで、茶やコーヒー、ソフトドリンクというように個人の気分に合わせて気軽に飲むことができるようになっている。このように、喫茶は一つの都市の中においても様々な種類の飲料、客層、場所、形態となって多様化し、現代社会の生活に深く浸透、定着している。
 この一杯の“お茶”を飲むことで人々は、会話の場、情報交換の場、仕事の場、休息の場、本を読む場、勉強をする場など、他から切り離された空間や時間を形成する。それは喫茶のひとつの特徴であり、人々をひきつける魅力である。それゆえ、日本の茶、トルコのチャイ、インドのチャイ、アメリカのコーヒー、イギリスの紅茶というように、喫茶飲料の呼び方も飲み方も多様ではあるが、一杯の“お茶”は世界各地の人々の生活に広く浸透し、定着してきた。
 そして、喫茶に人々が多くの時間を日々費やしているということは、社会の機能の一部を形成しているといえ、喫茶の現状を考えることは、社会生活についても考えることになる。また、いつ、どこから茶やコーヒーを飲む習慣が伝播し、それがどのような影響を受けて現状にいたったのかを考えていくことは、現在の人々の日々の営みと歴史からなる現代社会を再認識することにもつながる。

1.喫茶の多様性

世界各地の喫茶の現状は、国や地域だけでなく、社会階層によっても異なっている。また茶でもコーヒーでもどちらでも手軽に飲める国では自分にとって好きか嫌いかという嗜好の問題となっており、一概にその地域の伝統や習慣として捉えることができない。さらに飲料の種類から分析をする場合は現在の統計資料が国単位のものとなってしまっているために、地域単位、民族単位ではなく、国単位の茶とコーヒーの消費の割合から捉えざるをえない。そのため喫茶飲料、物質文化、いれ方、飲み方の地域差、階級差などについては文献などを参考に、多様な現状の報告としたい。

(1)飲料の種類

 ここでは国単位の消費杯数から現状の飲料の種類を表1として捉えておく。統計データは国際連合食料農業機関から取得したものから杯数を算出しているが、コーヒーは10gから1杯(160 ml)、茶は2.5gから1杯(180 ml)の抽出とし、人口で割って算出している。しかし、茶葉の種類やコーヒーの抽出方法によってもその使用量が大きく異なるため、茶と茶、コーヒーとコーヒーというように、同じ飲料を時代ごとに比較することは消費の増減をある程度把握することはできるが、茶とコーヒーの消費の差を比較する場合には目安にしかならない。
 そこで、統計にとらわれず、各国の喫茶飲料を思い浮かべた場合に、日本は緑茶、トルコは紅茶、イギリスも紅茶、アメリカはコーヒー、フランスもコーヒーなどとイメージされることがある。しかし、表1から1970年~2000年の10年ごとの国別の消費杯数を見てみると、日本では茶の消費量にあまり変化がないが、コーヒーは1970年には全体消費杯数にしめる割合が15%程度であるが、2000年の段階では43%と5倍ほどコーヒーの消費量が増えている。またイギリスにおいては茶の消費杯数は30年で6割ほどに減っており 、各国の飲料のイメージと実際に消費される飲料は時代とともに変化していることを示唆している。
 そして、中近東諸国においてトルコ、エジプト、ヨルダンでは茶の消費量が多い。特にトルコにおける茶の消費量の伸び幅が大きく、茶と比較するとコーヒーは極端に少ないことが分かる。また、イスラエルにおいては、茶からコーヒーへと消費杯数がこの30年の間に逆転している。また、バルカンの国々では、基本的にはコーヒーの消費のほうが茶に比べて大きく、ギリシアでは茶の消費が極端に低い点で、近隣諸国との違いが見られる。

 この統計から見える、時代ごとの茶とコーヒーの消費量の変化を通して、喫茶飲料の消費量に変化を与えた出来事や、周辺国との消費量変動差からは、各国固有の増減要因の発生時期が推測できる。さらに、もうひとつこの表から分かることは、第二次世界大戦後、20年~30年という短い期間で極端に消費量を増やしている国々があるという点である。これは経済力の発展、必要のないところにも必要性を創出する大量消費社会化の出現を考えることにもなる。このように、喫茶飲料は、消費者の嗜好や伝統とは無関係に政治、経済によって変化する国がある一方、伝統として意味づけられ固執する国もあることが見えてくる。また、実情は転換しても、茶やコーヒーに国民飲料としてのイメージを抱く、もしくは抱かれている場合もある。なぜこうしたことが起きるのかについては次章で考察する。

(2)物質文化

 文化人類学において「物質文化」とは、生活をとりまいているモノの世界のことである。それは文化という、暮らし方やものの考え方が、モノと人間とが織り成す生活体系を基礎としており、たとえ一つのモノであっても、それを生み、育んだ文化を説明することができるという考えである。つまり、「生きた文化の場には、その文化を持つ人々の価値観が凝集している。文化とは、それぞれ民族固有の価値観の体系であるとも説明される。(中略)モノが、その社会で広く容認され受容されているということは、そこに人々の価値観が働いているわけである。価値観は慣習と言い換えてもよい。人々の行動様式といったものも、そうした価値観や慣習が積み上げられて形成されている。」 このような物質文化を通じて、文化や習慣を理解することができると文化人類学では考えられている。
 日用品においても、「物は名前をつけられ、用途が定まると、文化的存在となる。工芸品や美術品を持ち出さなくても、日用品が文化を表現している。」  それは喫茶を構成する要素である、お茶の道具やコーヒーセット、ポット、カップ、受け皿、湯沸しなど茶やコーヒーを飲むための多くのモノにも文化が表れているということでもある。そこには自前のモノとともに様々な文化圏から伝来したモノが含まれている。そして、これらの喫茶の要素である道具類が既存の文化が利用していたモノを応用したものか、また一式のセットとして他の地域から伝播してきたモノかを検証することで、既存もしくは基層となっている文化とともに、他の地域とのつながりや影響のあった時代も確認することができる。
 16世紀以降、喫茶は東洋の珍しい習慣、文化としてヨーロッパに紹介され、シノワズリ(*10)と言われる東洋趣味が王侯貴族に流行し、カップや器などとともに喫茶文化一式として入り込んだ。それが徐々に庶民の生活に浸透し、定着していく過程において既存文化との融合を果たしたと考えられる。中国からヨーロッパに伝わった茶道具は16、17世紀まではその形状のまま使われていたが、18世紀に入り、ヨーロッパ各地に陶磁器産業の発展とともに、独自の茶器が生まれ、現在見る把手のあるティーカップやティーサーバなどが生まれた。結果、東洋の茶器とは異なるモノとなり、新たな喫茶文化となっていった。こうしたことは、ヨーロッパだけでなく、近代のトルコ共和国やイランにおいても見ることができ、ロシアから茶の飲み方とともに伝わったサモワールや、そのサモワールの影響から、トルコ今では独自と考えられる二段のやかんであるチャイダンルックが作られた。またチューリップ型をしたチャイグラスはイランなどの周辺国へ輸出され定着している。また、南アジアにおいてはヒンドゥ文化における淨不浄の観念 のもとでチャイ用に使い捨ての素焼きの器が使われている。このように、日々使われる日常品からも交易の歴史や文化の融合を見ることができる。


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【引用・参考】
(*6)日本語の“お茶”には緑茶だけでなく、コーヒーや紅茶、ソフトドリンクも含めるだけでなく、タバコを嗜むことにも使われる“一服”とも結びつけられ、ちょっとした休息、”tea break”のような意味合いで使われる。
(*7)参考資料4~6のグラフからも消費量の変化を視覚的に捉えることができる。
(*8)民族学振興会 1987, p.7
(*9)川勝平太 1991, p188
(*10)17世紀ごろからヨーロッパで流行した東洋趣味の美術様式。18世紀中ごろのロココ=シノワズリのティーセットには中国陶磁器図案をそのまま用いたものも多い。 松浦いね/たばこ総合研究センター編 2004, p.130