喫茶の伝播と変遷:アナトリア・バルカン地域を事例として(2009)
A Comparative Study of Tea and Coffee Cultures: Anatolia and the Balkans as Examples(2009)
第五章:喫茶の類縁性と多様性 ―アナトリア・バルカン地域の事例―
2.喫茶の多様化
(3) トルコ共和国におけるチャイ
現代のトルコ共和国における喫茶の現状として、どこで、どのような道具を使用してチャイを飲むかをここではみておく。
チャイは家での食後や仕事の休憩時間、また商談時など様々な場面や場所で飲まれている。家庭ではチャイダンルック呼ばれる二段のやかんなどでチャイを作り置きし、いつでも飲めるようにしている。バザールという商店の集まる場所においては商店を訪れた客との商談やもてなしのために商店主がチャイの出前を頼むことになる。チャイを出前するのはチャイオジャーウというチャイ専門店であり、バザールを歩いていると、チャイを出前配達している姿をよく見かける。
また、街中にはチャイハネ(図5)と呼ばれる喫茶店もあり、伝統的な習慣が根強く、地元男性の溜まり場となっており、会話やトランプなどのゲーム、テレビなどを見て過ごし、情報交換、社交の場となっている。特に「農村では情報交換の場として果たす役割は大きく、選挙期間中には、村のチャイハネは、政治活動の中心になる」(*230)と言われている。
次に、茶の道具についてだが、ロシアのサモワールの影響を受けたと考えられる、チャイダンルック(図6左)という二段のやかんが使用される。これはロシアのサモワールと原理的には同じものであるが、トルコではサモワールはセモヴェルと呼び区別している。
グラスはチャイバルダーウ(チャイグラス、図6右)と呼ばれ、チューリップ型をしたチャイ専用のグラスであり、受け皿に角砂糖とともに乗せて提供される。このグラスについては、1977年、ギリシアとの国境近くの田舎町の人々に「コップ入りの冷水が出てきて「のめ」という。それからひょうたんの上四分の一を切りとったような形をした小さなガラスのコップに入ったチャイ(中略)が出て、「のめ」という。」(*231) という記述が見える。このことから1970年代後半にはすでに、チューリップ型のグラスと紅茶が田舎町にまで浸透していたことがうかがえる。このチャイバルダーウはトルコ製のものであり、イランやヨルダン、モロッコなど近隣のイスラーム圏だけでなく、シンガポールのムスリム街などでも売られているが、トルコやイランを除くとチャイハネなどの喫茶店では使われておらず、来客時などに利用される茶道具となっているようである。
このように、トルコ共和国において、チャイは日常生活に浸透しており、喫茶の場であるチャイハネは、カフェブハネ(コーヒーハウス)の時代と変わらず、情報交換や社交の場としての重要性が残っていることがわかる。そして、コーヒーから紅茶への転換も抵抗もなく受け入れられ、紅茶が昔からの飲料と思われるほど根付いていることからも、多くの人々にとって、チャイハネに行く目的は飲料を飲むことだけではないと言える。
しかし、コーヒーがトルコの生活から消えてしまったわけではなく、家庭でのもてなしの際には飲まれることはあり、「トルコ人の家庭に招かれたときにトルコ・コーヒーがもてなされたならば、その客は特別の客であるという証となる。「一杯のコーヒーは40年を経ても思い出」というトルコのことわざ」(*232) があるほどである。
また、道具や飲み方においては、サモワールやチャイの飲み方などはロシアの影響を受け、それはイランなどと共通している。チャイバルダーウは、トルコ共和国内で生産され、それがイランなどの隣国にも輸出され、使われている。こうしたことからも、喫茶の習慣や文化が政治、経済などの影響とともに、様々な地域の習慣や文化の影響を受け、現地の習慣や文化と結びつくことで、変化を続けているものであることがみえてくる。
このようなトルコ共和国におけるコーヒーから紅茶への転換に対して、バルカンの隣国であり、コーヒーを主流飲料としているギリシアの喫茶状況についても多様化の一例として次で見ておく。
参考 9:チャイのいれ方、飲み方
1)チャイダンルックの下のやかんで湯を沸かし、上のやかんに茶葉を入れ、下のやかんの湯を注ぎ、やかんを二段にして火にかけておく。上のやかんに茶葉と水を先に入れ、蒸しておく場合もあるなど、人や店によって様々。茶葉をやかんにいれたまま沸かし続けるため、濃厚な紅茶となっている。
2)グラスに上のやかんからチャイを注ぎ、下のやかんのお湯で割って飲みやすい濃さに薄める。
3)ソーサにのった砂糖を好みの量だけ入れて混ぜてから、グラスの口の部分を持って飲む(取っ手がないため)。熱い場合は、ソーサに入れ、ソーサからすする場合もある。また、アナトリア東部地区では砂糖を口に含みながらチャイを飲むという飲み方もあり、イランの飲み方と同じであり、ロシアのチャイの飲み方の影響だと考えられる。この砂糖についてだは、ガンドという砕いた砂糖大根の塊であったために、混ぜても容易には紅茶に溶けず、口に含みながら飲んでいたものと考えられる。
(4) 喫茶飲料の固定化要因の事例 ―ギリシアのナショナリズムとコーヒー―
トルコ共和国は、オスマン帝国の政治、経済、文化の中心であったイスタンブルを内包する国ではあるが、現在ではトルコ・コーヒーは特別な時にまれる飲料となり、茶が日常的な飲物として、消費量の95%以上を占めている。それに対して、同様に19世紀初頭までオスマン帝国統治下にあったギリシアは、参考資料2をみても分かるように、コーヒーを飲む割合が9割を超えており、トルコ共和国の茶が占める割合と比べて逆の結果となっている。
そのギリシアの現状だが、「カフェニオ」と呼ばれるコーヒーハウスがある。キリスト教国のためアルコールは禁止されておらず、コーヒーだけでなく酒類も飲むことができ、男たちが集まる場所として町のいたるところにある。ここでのコーヒーは、アラブ式に挽いたコーヒー豆を煮出したコーヒーであり、トルコ・コーヒーとは呼ばず、“ギリシア・コーヒー”と呼ばれ、小さなカップに入れて飲まれている。これは「トルコ・コーヒーと同じものだが、ギリシア人は絶対にそうは呼ばない」(*233) ものであり、喫茶の変遷を考える上で興味深い点である。また、インスタントコーヒーも多く消費され、夏にはフラッペとして親しまれている。
茶に関しては、「チャイと彼等が呼ぶものは存在する。ギリシア人がいうチャイとは、カモミールを初めとする様々なハーブ茶」(*234) のことであって、トルコ共和国の紅茶のチャイとは異なるものとなっている。
このように、トルコ共和国とギリシアは隣り合った国であるが、喫茶飲料に違いがある。しかし、トルコ・コーヒーとギリシア・コーヒーはいれ方も飲み方も同じものである。その理由はオスマン帝国時代にはギリシアはオスマン帝国圏であり、1830年にオスマン帝国から独立をする以前に、すでにアラブ式の煮出したコーヒーを受容していたためと考えられる。つまり、1900年代前半までは呼び方は違うが、同様の喫茶であったと考えられるが、トルコ共和国がチャイへと変遷していったために、現在の飲料の違いが生まれたといえる。
この飲料の転換に関しては、トルコ共和国の場合は経済状態の悪化のため輸入が困難になったことが一因となっているが、ギリシアにも同様に経済状態がいいとは言えない時代があったことから、経済的な要因だけで喫茶飲料の転換が行われるわけではないことを示す。
ギリシアにおいて、「カフェへ入るのは飲むためではなく、男たちの社会に位置を占めるため」(*235) というように、わざわざ「ギリシア・コーヒー」を飲むために行くわけでなく、カフェという社交空間へ行くための言い訳となればよく、他の飲物でも問題はないように思われる。しかし、ギリシアでは政治・経済的には不安定な時期も多かったにもかかわらず、現在まで「ギリシア・コーヒー」を飲み続けてきた。そこには、政治、経済的な政策に茶への転換の動きがなかったというだけではなく、「ギリシア・コーヒー」と呼ぶように、単なる飲料以外の意味として、ギリシアではオスマン帝国からの独立時に高揚した民族主義の動きと結びつき、コーヒーに国民飲料という意味が付加されたためではないかと考えられる(*236) 。
この反オスマン帝国に結びついたナショナリズムの形成はバルカン諸国全般で見ることができる。現在でも「バルカン地域のかつての被支配国では、総じて「トルコ」の影響は否定的に語られる。しかも、「トルコ」の実体を語るよりは、「オリエント」的なるものとして語られる」(*237) というものであった。これは、ヨーロッパ内部で差異化されるバルカン地域において、自らの中の「オリエント」を否定することで「ヨーロッパでありたいという強迫観念」(*238) があるように思われる。これはオスマン帝国の中心イスタンブルを内包しながらも、EU加盟を目指す現在のトルコ共和国にも見られるものである。
このように、喫茶という日常生活の習慣には、多くの国や地域で暮らす人々のアイデンティティや、政治、経済的な政策が反映されていることからも、世界各地の人々や国を理解する上で有用な視座となりうる。
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【引用・参考】
(*230)民族学振興会 1978, p.15
(*231)小島剛一 1991, p.5
(*232)秋野晃司、小幡壮 2000, p.133
(*233)高田公理 2004, p.45
(*234)同上, p.47
(*235)フェルナン・ブロ-デル 2000, p.180
(*236)バルカン諸民族においてもコーヒーを「セルボ・クロアティア語では「トゥルスカ・カファ」」(秋野晃司、小幡壮 2000年, p.132)、(トルコ・コーヒー)と呼んで飲まれている場合もあり、喫茶飲料にまで民族主義などが反映されるかどうかはその国や時代によって様々であると言える。
(*237)比較文明学会p.135
(*238)同上